ミラノのドゥオーモ(大聖堂)
これはもはや「偉容」としか言いようが無い(シャレではない)。なんと、補修のために正面が全く見えないという悲劇の時期に訪れる事になったが、中に入ったとたんそんな気分ごと息を呑むことになった。圧倒的な空間を従えた大伽藍。「なんだ、これは・・・」という(一応)感嘆の呟きを何度口にしたことか。普段、キリスト教寺院にプンプンする権威主義的な臭いも、ここまで突き抜けていると全く嫌なものではなく、こんなものを作り出させてしまう信仰という力の前の無力感・脱力感が心地よくさえ感じる。あぶないあぶない、と思いつつも、これはまた見に来たいと思わされた。同時に、この建造物は、様式やらなんやかやのお題目を超えた、「建築」という単語の持つ素朴な感覚を肌で感じさせる。惜しむらくは、腕もあろうが、撮った写真が、一枚もその空気感を切り取っていないこと。写真上も例外ではない。下は、ドゥオーモの天井からミラノの街を眺める、の図。
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